戦国日本とオランダの運命の出会い! オランダが日本に来た狙いとは?
日本から遠く離れたオランダ。ここに戦国日本に新たな光を当てる資料が見つかりました。日本に滞在したオランダ商人が書き残した日誌や手紙。500件に及ぶ膨大な記録です。
そこには戦国武将の懐に入り利益を上げようと奔走する商人たちの姿が記されていました。
「徳川家と豊臣家との間に戦争が起こるという確かな情報を入手した。必ずや家康さまに大砲を鉛を売り込んで見せる。」
この資料はまさに宝の山です。オランダ商人はあらゆる物事を記録しています。彼らは戦国時代の日本にビジネスチャンスを見出していたのです。
オランダと戦国日本の運命の出会い。それは偶然から始まりました。1600年4月19日嵐に襲われ難破した貿易船が命からがら日本にたどり着いたのです。
船には最新式の鉄砲や弾薬が大量に積まれていました。このオランダ船に目をつけた人物がいます。徳川家康です。
家康は自ら生き残った船員たちを尋問しました。この時の詳細なやりとりが記録に残されています。
「日本に来た狙いは?」
「貿易です。我々の武器を買えばあなたは より強くなるはずです。」
豊臣家に対抗するため軍事力を強化していた家康。オランダの提案はまさに渡りに船でした。家康は船員たちを家臣として召し抱えることを決めます。船に積まれていた大量の武器弾薬は家康の手に収まることになりました。
オランダが日本に来た背景にはヨーロッパ情勢の劇的な変化がありました。
大国スペインの支配下にあったオランダ。圧政を逃れるべく独立を宣言。激しい戦争を始めます。
しかしスペインの力は強大でした。世界中の植民地から莫大な富を吸い上げ無敵艦隊をはじめとする世界有数の軍事力を擁していました。独立間もないオランダは劣勢に立たされます。
この時オランダが打ち出したのが貿易による富国強兵策。海外で商品を売って資金を稼ぎスペインに対抗できる軍事力を持とうとしたのです。
オランダと日本の出会いは歴史を大きく動かしていきます。オランダ船漂着の半年後の1600年10月21日に起きた関ヶ原の戦い。徳川家康と石田三成ら豊臣家の武将たちが激突します。総勢20万人をもいわれる大軍が戦った天下分け目の決戦。
当時の宣教師の記録にその様子が記されています。
「徳川軍が撃つ嵐のような弾丸。瞬く間に光成たちの軍は総崩れとなった。」
オランダの武器を手にした徳川軍。その火力は圧倒的でした。天下取りに大きく近づいた徳川家康。
しかし最大の障壁が残っていました。父 豊臣秀吉から莫大な遺産を受け継いだ豊臣秀頼です。秀頼のもとには豊臣家に忠誠を誓う武将たちが結集していました。
激しさを増す徳川家と豊臣家の争い。同じ頃ヨーロッパでもオランダとスペインの戦いが新たな局面を迎えていました。
つづく
『NHKスペシャル 戦国~激動の世界と日本(2)「ジャパンシルバーを獲得せよ」』より
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