戦国最後の合戦の裏には知られざるドラマが! 小さな商業国だったオランダがついに大国スペインに対抗し得る力を手にする!
戦国最大にして最後の決戦 大坂の陣。天下取りに王手をかけた徳川家康。その最後の障壁となった豊臣秀頼。日本の頂点を決めるこの戦いはオランダとスペインの覇権争いとも深くつながっていました。
スペインを後ろ盾とする宣教師たちは勢力挽回のため豊臣家に肩入れします。
「秀頼さまは自由な布教と教会の建設を約束してくださった。皆が秀頼さまの勝利を望んでいる。」
宣教師たちは豊臣方につくようキリシタンの武将に働きかけます。全国から信仰心あついキリシタンが結集し豊臣軍は総勢10万の大軍に膨れ上がっていました。
更にキリシタン勢力は武器の調達においても活躍しました。決戦の舞台となった大坂城で今大規模な発掘調査が続いています。地下から現れた豊臣軍の軍事基地の跡に作りかけの鉄砲玉が発見されました。
大坂城下では戦のさなか銃弾の製造がおこなわれていました。それを可能としたのがスペインとつながるキリシタンの商人です。キリシタン商人は弾の原料となる鉛をかき集め大坂城に運び込んでいたのです。
1615年1月、決戦の火ぶたが切られました。大軍で四方から攻め寄せる徳川軍。しかし、豊臣軍から一斉射撃を浴びせられ大坂城に近づくことも困難でした。
そこで家康は起死回生の策を打ち出します。大砲による大坂城への直接攻撃です。しかし徳川軍の陣地からは最短でも500m。従来の大砲の有効射程を超えています。
この時家康が頼みの綱としたのがオランダでした。
「家康様が大砲と砲弾をすべて購入することを報告する。」
家康の待ち望んだオランダの大砲。それはどのようなものだったのか。
17世紀にオランダが開発したブロンズ製の大砲です。
当時最新式のカノン砲。オランダ東インド会社は海外の戦場で売れる商品として大砲に着目。多額の開発資金を投入しイノベーションを加速していました。
オランダはヨーロッパの軍事産業の中心地でした。最新式の大砲を積んだオランダの船は武器市場を世界に広げました。特に成果を上げたのが戦国時代の日本だったのです。
オランダの大砲の威力を検証するため実弾の発射実験が行われました。ターゲットは大坂城の天守を想定。厚さ10cmの堅牢な木材で作られました。
砲弾の速度は秒速340m。音速に達していました。
ターゲットの中心に正確に命中。分厚い木材を難なく破壊しました。
有効射程は500m以上。世界各国で開発された大砲の中でも群を抜く性能でした。
オランダの大砲は大坂の陣のさなか家康のもとに届けられます。砲弾は天守と御殿を直撃多数の死傷者を出します。
大坂の陣はオランダとスペインの覇権争いにおいても転機となりました。オランダ東インド会社が待望の銀を手にする決定打となったのです。
「家康様に大砲と砲弾を納品した。代金は銀貨1万2千枚に上る。」
家康の信頼を勝ち得たオランダ。年々取引高を伸ばし最盛期には年間94トンもの銀が日本から運び出されます。小さな商業国だったオランダがついに大国スペインに対抗しうる力を手にしたのです。
家康にとって天下取りの総仕上げとなった大坂の陣。念願の銀を手にしたオランダにとっても大きな飛躍の場となりました。
戦国最後の合戦の裏には知られざるドラマがあったのです。
勢いづいたオランダはスペインとのさらなる戦いに乗り出します。植民地争奪戦です。舞台となったのは東南アジア。香辛料の特産地モルッカ諸島や海上交通の要マラッカなど重要な貿易拠点の多くはスペインが支配していました。オランダはこのスペインの植民地を奪い取る計画を立てます。
カギとなったのは戦国日本から輸出された驚くべき商品でした。
つづく
『NHKスペシャル 戦国~激動の世界と日本(2)「ジャパンシルバーを獲得せよ」』より
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