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なぜ柔道が強い人は黒帯なのかご存知ですか? それは・・・!!

なぜ柔道が強い人は黒帯なのか?f:id:funa-karui:20210214050734j:plain

それは白の真逆だからです。

講道館の方
「なぜ黒にしたかはっきりした記録はないんですけど柔道を創始された嘉納治五郎師範が白い柔道着に映える色、コントラストが真逆で目立つ色ということで黒にしたということが有力な考え方だと思います。」

スタッフ
「そんなんですか?インターネットをみると白い帯を使い込んでくると黒ずんでくるから黒が強さの象徴だったという説が通説のようにでまわっているんですが・・・。」

実はインターネットでリサーチをすると昔は柔道着を洗う習慣がなかったから稽古を重ねると次第に帯が黒ずんでいきその黒が強さの象徴になったなどの記述ばかりが出てきます。そもそもこの説が興味深いということで企画が動き出したのです。

「確かにネット上でそういう説が出回ってるんですけども嘉納師範は柔道着の手入れはしっかりしなさい清潔に保ちなさいということを厳しく指導されていました。汚れて黒くなったということをイメージしたというふうには考えにくいですね。」

ということで柔道着の成り立ちを1から教えていただきました。

「稽古着を白に有段者を黒帯にしたのは嘉納師範の講道館柔道に関しての教育の仕方のお考えが反映されています。」

柔道のルーツは古流柔術。江戸時代には100以上の流派がありました。その中の天神真楊流(てんじんしんようりゅう)と起倒流(きとうりゅう)を学んでいた嘉納治五郎はこれら2つの流派をもとに他の流派も研究して独自の理論を確立。明治15年(1882年)講道館を設立し柔道が誕生しました。

そこで嘉納治五郎が柔道に新たに取り入れたのが独自の段位制度でした。修行の成果に応じて初段から十段さらにその先に限りなく進むというものです。

「身近なところに次の目標があるということで修業を継続しモチベーションを高める、そのために作られたものです。」

もともと古流柔術にも「目録」「免許」「皆伝」といった大まかな段階があり、嘉納治五郎が修行した天神真楊流では稽古着の色で階級を区別していました

初心者はあさぎ色の稽古着に白の十字刺し。目録に昇格すると白地に襟があさぎ色、紺の十字刺し。免許になると襟も白で紺の十字刺し。

ところが・・・
「当時の技術では稽古着の色を変えるとなると相当なお金もかかるでしょうし、それ以上に手間がかかります。師範は柔道は誰でも気軽に始められなけらば行けないと考えられていましたので稽古着は一番シンプルな白に定められたのだと思います。」
こうして柔道着の色は最もシンプルかつ清潔感のある白が採用されたのです。

しかしそうすると柔道着の色で段位を表せなくなってしまう。そこで嘉納治五郎は考えました。
「稽古着の色を変えるのではなくもっと簡単にやる方法はないかとお考えになられてそれでは帯の色を変えよう、白い稽古着の中で一番コントラストが真逆の色というと黒。黒が目立つということで黒にされたんだと思います。」

黒帯の誕生はもっとも古いスポーツ雑誌のひとつ「月刊 柔道」にも記されています。
「それ以前、他流の道場では黒帯ということはなかった。黒帯は講道館の発明でありましょう。」

明治20年ごろから講道館で始まった有段者の黒帯。白い柔道着に黒帯という柔道の基本スタイルはこのようにして生まれたのです。

そして、帯の色は五級四級は白帯三級から一級は茶帯初段になると黒帯と定められています。実は黒帯の上もあり、初段から5段までが黒六段七段八段が紅白九段十段が赤帯ととなります。f:id:funa-karui:20210214054752j:plain

ということで柔道が強い人が黒帯なのは白の真逆だからでした。

 

チコちゃんに叱られる!』より

ここまでお付き合いいただきありがとうございます m__m