はてなブログProへの道

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なぜ「人一倍」が「人二倍」じゃないのか、皆さんご存知ですか? その答えは・・・!!!

みなさんは何かに熱中して“人一倍”頑張ったことがありますか。
「目指せ甲子園!」
「目標は東大合格!」
「俺、弁護士になる!」
どれも人一倍の努力が必要そうですね。

さて、そこで今回は「人一倍」という言葉に注目。

「人一倍」とは人の2倍という意味であり、東大に合格するために人一倍勉強したの意味は東大に合格するために人の2倍勉強したということになります。

人一倍で2倍。一倍で2倍?なんかおかしくないですか。人の2倍何かをしたのなら「人二倍」なのでは?

なぜ「人一倍」が「人二倍」ではないのか。その答えは・・・

 正解は昔は「人一倍」が「人二倍」だったから。

日本国語大辞典・元編集長
「一倍というのは明治初期ごろまでは二倍の意味だったんです。」

わたしたちは普通、リンゴ一個の「一倍」というとリンゴ一個と考えますが、実は明治初期までは「一倍」というとリンゴ二個のことを表現していたのです

つまり「一倍」とは今でいう二倍。なので、「人一倍頑張った」というのは他人に比べて二倍頑張ったということになります。

さらに明治以前は「倍」のほかに「層倍」という表現もありました。

「×1」=「層倍」
「×2」=「一倍」もしくは「二層倍」
「×3」=「二倍」もしくは「三層倍」
「×4」=「三倍」もしくは「四層倍」といった感じです。

ところが、

日本国語大辞典・元編集長
西洋文化が日本に入ってきて「×2」になって二倍ということになったのです。」

どういうことかというと明治以前の日本では「一倍」は「×2」ということでしたが明治以降は「二倍」という言葉で「×2」を表現するように変わったのです。その当時の人はさぞかし混乱したことでしょうね。

そこで明治8年公布された太政官布告で「一倍」と表記していた「×2」のことをすべて「二倍」と表記することに決定。今まで使っていた「一倍」という表記は禁止されましたが「人一倍」という言葉はそのまま使われ続けたようです。

「人一倍」はそのまま使われ続けましたが、西洋文化の導入によって変化した言葉もあったと言います。

日本国語大辞典・元編集長
「一日中といった言葉を意味する四六時中という言葉があります。この言葉は昔は二六時中(にろくじちゅう)と言っていました。」

江戸時代は子の刻、午の刻など一日を12分割(12刻)で表しており、昼の6つと夜の6つを合わせて丸一日を12刻=2×6で二六時中と表現しました。

しかし、明治6年に24時間制が導入されると1日を24時間に分けました。そこで12を24にするため2×6から4×6に変え四六時中(しろくじちゅう)という言葉が生まれたと言われています。

このように明治になると西洋思想が次々と取り入れられ日本語に様々な影響を与えました。つまり西洋の思想にはそれまで日本にはなかった概念が存在するためその概念を表現する日本語を新たに作り出す必要があったのです。

たとえば英語の「Speech」という言葉は議会や民衆などの前で自らの主張を述べるという意味ですが、当時の日本では自分の意見を主張するためには紙に書いて文書で伝えるのが一般的でした。

そこでスピーチという言葉の意味を説明するために、お坊さんが説法をする様子を表す仏教用語の「演説」を当てたと言われています。

この「演説」という言葉を現在に定着させた人物が福沢諭吉。「学問のすゝめ」では演説を英語でスピーチということが説明されています。他に「自由」「討論」「経済」「動物園」なども福沢によって広まった言葉だと言われています。

ということで「人一倍」を「人二倍」と言わないのは昔は「一倍」が「二倍」だったからでした。

 

funa-karui.hatenablog.com

 

チコちゃんに叱られる!』より

ここまでお付き合いいただきありがとうございます m__m