ついに応仁の乱は本格的な戦闘に突入! 東軍細川方の総大将はなんと!!!
1467年(応仁元年)5月26日、細川勝元軍は花の御所 室町殿向かいの山名方の屋敷を襲い占拠した。山名方も宗全の娘婿の斯波義廉の軍勢が応戦し戦は見るまに上京全域に及んだ。ついに応仁の乱は本格的な戦闘に突入した。翌日の夕暮れまで続いた激戦で多くの寺院や家屋が焼失した。
開戦から2日後、将軍義政は両軍に停戦を命じた。これにより一旦戦闘は止んだが、勝元は宗全との戦いを有利に進めるため義政に将軍旗を求めた。これまで中立を保とうとしてきた義政を自軍に引き込もうというのである。
圧力に押された義政は勝元に将軍気を与えた。幕府は細川方に与することとなったのだ。かくして室町殿の西に陣取る山名方は西軍。片や将軍家を抱き込んだ細川方が東軍となる。
義政は弟の義視を総大将に立て応仁の乱は泥沼にはまり込んでいく。
渡邊
「ということで、京都の上京一体で激しい戦いが始まって本格的な戦闘に入ったということなんですね。で、当初は中立を守ろうとしていた義政なんですけれども、ここにきてなんと東軍の方に、勝元側につくということになりました。これに伴って義視も東軍。」
渡邊
「義政はこの時点で中立を保っていればよかったんじゃないかと思うんですけれども・・・。」
小谷
「恐らく、これ互角に近いんですけれども、まあ、あとどっちが元々義政に近いかっていうとやっぱり細川勝元の方ですから、おそらく自分の判断でですね、細川、要は東軍につくというのを決めたんじゃないかと思います。」
呉座
「小谷さんがおっしゃったとおりだと思いますね。結局、勝元たち東軍が将軍御所周辺に展開したんですね。要するに将軍足利義政は東軍に包囲されているような状況になっているので、遠くにいる西軍より近くにいる東軍。東軍についちゃったんだと思いますね。」
中野
「本当にわかりやすいですね。この人の行動は常にぶれているようなんだけれども、一点だけぶれてないのは自分の身を守るのに安全な方を選ぶということなんですよね。」
呉座
「常にそうです。停戦命令もそうなんですよね。戦いが始まったら急に停戦命令を出すわけですね。これは何でかっていうと、要するに京都が戦場で戦うわけですから、このままだと自分が戦争に巻き込まれるというふうに思ったんで、慌てて停戦命令を出したわけですね。自分に危機が迫る段階になってはじめて動き出す。判断そのものはそんなに間違ってないんですけれども、常に遅い。一歩遅い。一歩二歩必ず遅れちゃうんですよ。一歩二歩先を予測してやるんじゃなくて、足元に火が付いてから動き出すので遅いんですね。」
渡邊
「しかも義政は将軍旗を勝元に与えただけではなくって義視を総大将にするという判断をする。」
呉座
「これはたぶん細川勝元が要請した要望したんだと思うんですよね。将軍旗ってしょせんは旗ですから、物でしかないので人も必要だと、将軍家の人間が。それこそ戊辰戦争の時も錦の御旗だけではなくて宮様を総大将にしているわけですね。官軍は。実際に江戸に下っていく官軍は事実上西郷隆盛が指揮を執ったわけですけど、形の上では宮様がトップという形になる。それと一緒で、この場合もこちらが正義の軍。将軍家の側であるというふうに言うには、やはり将軍家の人間を総大将にする必要がある。だけど、足利義政は文科系なので絶対嫌だというので、まあそうすると消去法で義尚はまだ子どもなので他に総大将になれる人は義視しかいないということですよね。」
つづく
出演者
【司会】
磯田道史
国際日本文化研究センター 准教授
主な著書に「武士の家計簿」「無私の日本人」など
【出演】
井上章一(建築史家)
著書「京都ぎらい」が話題に
呉座勇一(歴史家)
国際日本文化研究センター 助教
著書「応仁の乱」が40万部に迫るベストセラーに
著書「戦争な日本中世史」など
中野信子(脳科学者)
東日本国際大学教授
人間の行動や思想を脳科学の観点から多角的に分析
著書「サイコパス」など
橋本麻里(美術ライター)
永青文庫副館長
美術番組での解説から高校美術教科書の執筆・編集と幅広く活躍
著書「美術でたどる日本の歴史(全3巻)」など
小谷賢(戦史研究家)
日本大学教授
情報・戦略から見た戦史研究のエキスパート
著書「日本軍のインテリジェンス」など
※2017年7月現在
『英雄たちの選択スペシャル▽まさかの応仁の乱!もうどうにも止まらない11年戦争』より
ここまでお付き合いいただきありがとうございます m__m