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長く続いた応仁の乱もついに終焉! その裏には日野富子の活躍があった!

 

funa-karui.hatenablog.com

 渡邊
「長く続いている応仁の乱ですけれども、ついに終焉を迎えます。」

1473年(文明5年)の暮、乱も7年目に入り大きな転機が訪れた。足利義政が将軍の座を息子の義尚に譲ったのだ。

これで長年政権の行方を左右してきた将軍継嗣問題は一応の決着を見た。

この年の3月西軍を率い幕府に反旗を翻してきた山名宗全が死去。その2か月後、東軍の総帥 細川勝元も世を去った。

細川山名の後継者は和睦交渉を再開し、翌年山名が幕府に帰参することで収まった。だが西軍の畠山義就大内政弘はこの和睦を認めず徹底抗戦の構えを崩さなかった

義政の正室 富子は義視の義理の姉でもあった。富子は夫義政と義視の間を取り持ち、1476年両者の和解を取り付けた。

富子は西軍の交戦派 大内政弘と幕府との交渉も進めた。その結果、大内は領国4か国の守護職を安堵され官位も上がるという厚遇を得て和睦した。

最後まで矛を収めなかったのは乱の発端となった畠山義就だった。しかし大内が撤退することになり孤立した義就も京を離れざるをえなかった。

1477年、応仁の乱は11年目にしてその終わりを見る事となった

渡邊
「ということで、ついに11年目にして応仁の乱は終わりました。でも、これ、最終的に終結に至ったのは日野富子の役割が大きかったように思うんですけど。」

呉座
日野富子は非常に上手かったと思います。結局大内政弘を何とかすればいいというところに目をつけて。大内政弘は本当は帰りたいんですよね。自分の国がどうなっているのか心配でしょうがない状況です。でも、逆に言うと10年やって何の成果もなかったでは格好がつかないんですね。帰れない。家臣たちにもウチの大将は何をやってたんだっていう話になるので、政弘としては何とか格好の付く形で終わらせたいわけですよね。」

呉座
「で、そこで富子は大内政弘の官位を上げてあげて領国も安堵ということで、大内政弘が面子を保てるようにしてあげたわけですよね。武士たちが面子にこだわるっていうことをちゃんと見抜いたうえでですね、やってあげたと。」

中野
「でも、だいたいにおいて自分で意思決定する女性ってあんまりいいと思われないんですね。これはなぜかというと男性の自己評価を低める働きをしちゃうからなんですね。富子の面白い所はこの当時の自己評価の低い男性たちを、見栄を張らなきゃいけない男たちの心理をよく観察して何を与えれば動くかということを的確にやったんですね。」

橋本
「結局、日野富子は名より実を取ったという形になるんでしょうけれども、その場合の実っていうのは何なのかって思った時に、将軍家の名誉を守ったというような結論になれるのでしょうか。」

呉座
「将軍家というか、基本的に日野富子にとって一番大事なことは自分の息子の足利義尚が将軍になるということなんですね。だから富子が本格的に動き出すのは足利義尚が将軍になってからということですね。だから義尚が将軍になった以上戦争を早く終わらせないといけないわけですよ。戦乱下の将軍ではじょうがないので。だからそれは天下人民のためというよりは足利家の為であり、日野家の為であるというのはそうだと思いますけどね。」

中野
「どういうタイムコースでの利益をみんな見ているのかというところですよね。自分の利益、短期的な利益だと非常に自分ファーストって言われるような手になるわけですけど、日野富子のタイムコースっていうのは蓄財するというところに主眼を置くのでちょっと他の人よりも長いんですね。ちょっとこの人はまわりの男たちよりは少し長い範囲でものを考える人だったんじゃないですか。」

呉座
日野富子は相場とかもやっているので。相場っていうのは時間軸なんでね。長期的な視野が必要となってくるんですね。」

井上
「私はね、きちんとした資料を読んでる人間ではないので憶測で言いますが、彼女には大変な社交能力があったと思います。銀座のホステスさんなんかをしたら結構いいところに行けたようなタイプの人であろうと思います。富子は、まあなんていうのか、優しい折衝役やったんだと思います。例えば出会う大名に、あなたの領地の特産品は美味しいという評判ですね、とか、あなたのお坊ちゃんはすごく勉強ができるようですね、とか。知りませんよ、そんなこと言ったかどうか。要するに大名たちの、おっさんの心をくすぐるようなやり取りのできる人だったんだと私は考えます。」

井上
「特に畠山義就なんかはあの段階で退くしか手はないんだけれども、捨てばちな自爆テロに京都ではしる可能性だってあるんですよ。もうにっちもさっちもいかへんなったら。それをね、なだめたりすかしたりしたのは、もう間違いなく彼女だと思います。」

井上
「あの、なんていうのかな、領地と自分の武力とメンツにこだわる封建制から抜け出せない男たちの前で、社交と資本主義に目覚めた富子が彼らを手玉に取るっていうのがこの乱の落としどころでね、封建おじさん 対 資本女子の素晴らしい争いのように私は捉えています。」

井上
「富子の方向でね、あのまま進んでいったら、オランダやイギリスに先駆けた資本主義社会が日本には到来していた可能性さえあると私は思っています。」

呉座
「またすごい話になってきましたね。」

磯田
「これ、終わったんですかね、でも」

小谷
「まあ、でも、もうほとんどの人たちにとって京都で戦っている意味は全くなくなったわけですから、どちらかといえば領国に戻らないと国が取られるかもしれない。もしくは自分の新しい領土を増やすためにですね。やっぱり大事なのは自分の国だということにみんなが気付いたんだと思います。」

渡邊
「ポイントになってくるのが最後まで戦い続けた畠山義就だと思うんですけれども。」

呉座
戦国大名って基本何かというと、基本的には将軍 幕府のうしろだてに頼るのではなくて、自分の実力で領国を統治する大名。これがまあ戦国大名。この定義で言うと畠山義就っていうのは最初の戦国大名って言っちゃっていいんじゃないかと思いますよね。畠山義就は、幕府って何、なんで将軍に頭を下げる必要があるの、みたいはそういう方向に行くので過激でラディカルであるということ。これはもう今までの既存の守護大名の枠では収まり切れない。今までの守護大名とは明らかに違う存在になってるっていう意味では非常に面白い人物だと思うんですよね。」

呉座
畠山義就がいなかったら、応仁の乱は起こってなかったと思うんで。」

磯田
「だから、管領とか権威ではなくて自分の立脚点を戦で勝てばゲバルト・・・、暴力、武力で勝てばそこの立脚点において自分の地位を確立しようというその政治思想を持って、実際に行動する男が、新種が現れる。それで、それがまあ、日本史を変えていくわけですよね。」

磯田
「この後おそらく、もう一回家格による秩序に戻るまで約150年かかる。秀吉、徳川政権まで行かないと。で、その間、もう大いに日本が変わっていくわけですよね。」

呉座
「その先駆けが畠山義就だと思うんですよね。」

渡邊
「最後に皆さんに伺いたいんですけど、応仁の乱が残したものというのはいったい何だったのかということですが。」

橋本
「やっぱりあの、圧倒的に、あの、先ほども相国寺が3日間燃えたみたいな話が出てきましたけれども、あの応仁の乱を通じて失われた唐物の量というのはすさまじいものだったと思うんですね。まあそれまでの既存の価値観であった唐物ファーストな状況が変わってくる。ですから、それに代わる新しいものとをということで、例えば茶の湯であれば わび茶 が起こってくる。そして千利休がそれこそ、まあ、だいぶ後ですけれども、和物の茶碗を作りコンテンポラリーな茶道具。そこに唐物がゼロになるわけではなく1~2点入っては来るんですけれども、そういった新しい美意識が生まれる。あるいは、東山御物と呼ばれる、まあ、もっと前の義満から歴代集めてきた歴代将軍たちの美意識の塊である、まあこれは、唐物の絵画作品とか書ですけれども、こういったものが、あの、幕府が窮乏しますので流出していくわけですよね。それによって、またあの、それを新しい美の規範として近世美術が作り上げられていく。私たちが日本的と感じるものはおおむね、このあたりの時代から作られてくる。」

磯田
「畳があったり、床の間があったり、障子があったりね。これは全部この後ですよね。」

橋本
「この後ですからね。」

小谷
「結局この中でだれが得をしたのかというと非常に難しいですよね。やっぱり、この、なんていうか、制度とか秩序が疲弊した時は頼れるのは己の実力だけなのかなという気がしますし、それは、今の我々にもある程度当てはまるんじゃないかと、ちょっと、今日の話を通じて思った次第です。はい。」

井上
「乱の後、人々は、もうなんていうの、将軍も守護大名も頼りにはならない。自分たちのことは自分で守らなければならない。というので、例えば京都なら上京と下京は周りを溝と壁みたいなもので囲うわけですよ。自衛するわけですよ。これで自治意識が芽生えるんですよね。まあ、その後、戦国大名によって、戦国というか江戸時代にこの自治意識はやや縮められるんだけれども、現在の京都の上京、下京の町衆意識はこれに根があると思います。

中野
「まあ、秩序の崩壊する歴史をみるということになるんですけれど、秩序が続くことによるデメリットというのを多くの人が感じていて、それを何とかしたい。流動性を高くした方がいいんじゃないか、グローバル化したほうがいいんじゃないか、いろんな人があの手この手でやってるんですけれども、なんか指針になるようなものがほしいなと思った時、歴史を振り返るとこの時代なんじゃないか、戦国時代の前夜がここにあるというふうに思うと、まあ、今との相同性が非常に高くて、これから来るであろう、もしかしたら、戦乱の時代が来るかもしれませんし、戦乱そのものではなくても 知の戦国時代 のようなことが、やっぱり待っているわけですから、それの指針がここにあると考えれば、人気が出るのもこれはわかるなというふうに思います。」

呉座
「ありがとうございます。」

呉座
「なんか、閉塞感みたいなのはたぶんあると思うんですけれども、でも、それをなんか、それこそ英雄的なヒーローが変えてくれるっていうよりは、既存の秩序が内側からだんだん崩壊していっているなという感じを思ってるんじゃないかなっていうのはありますよね。それこそ応仁の乱以降の社会体制というのが今内側から崩れつつあるいうところはあるかなとは思います。だから、あんまりこう、革命とか改革的な感じで前向きに新しく変わるというよりは既存の秩序がずるずると崩れていっているといった感じですよね。」

磯田
「いや~今回は学ぶことが多かったですね。あの、この乱って、あの、中心なき世界を作っていったと思います。日本に。今でもGゼロとか言いますよね。G7が、中心がなくなってGゼロになるんだと。この時は三管四職の7人の宿老会議の体制がですよ、G7ですよ。なくなるわけですよ。もう中心として京都にも来なくなるわけです。いろんなものが拡散する。京都に集中していた権威とか文化が砕け散ってねバーンとやったことがある。日本中で砦を築いたり自分が武器を持って武装したりとか。これが大体150年続いて、20万の軍隊と数万の火縄銃でもって自分ファーストを押さえつける権威が生まれるまで日本人はその道を歩み続けるわけですよね。だから、今回考えると、まあ、正直中心がなくなって、みんななんで自分のことばっかり考えるんだ みたいに戸惑ってる日本人たちに、その、同じような歴史、人々はどのように生き政治家はどのように行動したかっていうのを見てもらったということだと思うんですよね、今回はね。」

 

出演者

【司会】
磯田道史
国際日本文化研究センター 准教授
主な著書に「武士の家計簿」「無私の日本人」など

渡邊佐和子
NHKアナウンサー

【出演】
井上章一(建築史家)
著書「京都ぎらい」が話題に

呉座勇一(歴史家)
国際日本文化研究センター 助教
著書「応仁の乱」が40万部に迫るベストセラーに
著書「戦争な日本中世史」など

中野信子脳科学者)
東日本国際大学教授
人間の行動や思想を脳科学の観点から多角的に分析
著書「サイコパス」など

橋本麻里(美術ライター)
永青文庫副館長
美術番組での解説から高校美術教科書の執筆・編集と幅広く活躍
著書「美術でたどる日本の歴史(全3巻)」など

小谷賢(戦史研究家
日本大学教授
情報・戦略から見た戦史研究のエキスパート
著書「日本軍のインテリジェンス」など

※2017年7月現在

 

『英雄たちの選択スペシャル▽まさかの応仁の乱!もうどうにも止まらない11年戦争』より

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございます m__m