料理で使うお玉を「おたま」と言うのは“お多賀”がブームになったから・・・どういうこと?
以前、飲食店でバイトしていたころの話。
厨房で専門用語が飛び交う中「レードル」という言葉が突然登場。
れ、れぇどる???
お玉のことをレードルと呼ぶことを初めて知った19歳の秋でした。笑
ここからが本題。なぜお玉を「お玉」と言うのか知っていますか。それは・・・
お多賀がブームになったから。
専門家
「お玉は「おたまじゃくし」となんとなく呼ばれていたんですが、「お多賀」がブームになったためその名前が定着したんです。」
お多賀がブーム?いったいどういうことなのでしょうか。
専門家
「お玉はもともと「杓子(しゃくし)」という道具で古代から使われていました。ひさご、つまりひょうたんを半分に切ってくぼんだ部分で食べ物をすくっていたんです。」
かつてはひょうたんを半分に切った物や木を彫って作ったものなど食べ物をすくう道具が全般的に杓子と呼ばれ日常的に使われていました。
専門家
「弥生時代に稲作が始まって以降、初穂と言って収穫に先立って神様に稲をささげていたことで米のことを稲の魂と書いて稲魂(いなだま)と言っていました。」
当時の米は今のようにもちもちと柔らかいものではなく、米を蒸した強飯(こわめし)やゆでたおかゆのようなものを食べていたため、くぼみのある杓子ですくって食べていました。
専門家
「その米をすくうものなので杓子は魂を入れるものとされていたんです。魂を入れる杓子→魂杓子(たまじゃくし)→お魂杓子(おたまじゃくし)というわけです。それぞれの場所で何となくこのように呼ばれるようになりました。」
このお魂杓子はくぼみに魂が宿っているとされ神聖な存在でした。宮島の厳島神社の名物として有名なしゃもじも、もとは杓子と呼ばれていたもの。他にも杓子を神聖なものとする習わしは日本各地にありました。しかし、この杓子の呼び方ははっきりと決まっていたわけではなく、地域ごとに呼び方は様々でした。
専門家
「各地でまちまちな名前で呼ばれていた杓子を「おたまじゃくし」という統一した名前にした火付け役がいたんです。それがお多賀さん。滋賀県の多賀大社です。」
滋賀県多賀町多賀大社。ここに「おたまじゃくし」の原型といわれるものがあるという。それは「お多賀杓子」。
多賀大社宮司
「元正天皇さまが養老年間に病に伏せられました。その折に多賀の神職たちが強飯を炊き杓子を添えて献上したところ病がたちどころに治ったという言い伝えが多賀に残っております。」
これは縁起がいいと、それ以来杓子はお多賀さんの愛称で親しまれる多賀大社にちなんで「おたがじゃくし」と名付けられ、神様からの印として参拝に来た人々に渡されるようになりました。さらに多賀大社にはそれを全国に広めた人々がいました。
専門家
「多賀大社の境内にはお寺がありました。そこにいたお坊さん、坊人と呼ばれる人たちが室町から江戸の時代のころ全国を行脚して多賀信仰を広めていったんです。その時、多賀の神様のお印としてお多賀杓子を配っていたんです。」
専門家
「その活動が実を結んだのが江戸時代の参拝ブームです。」
参拝ブームの発端がお伊勢参り。江戸時代、伊勢神宮の参拝がブームとなり年間何百万もの人々が訪れました。坊人たちは多賀大社にも人を呼ぶため、もう一つ宣伝を打ちました。
多賀大社宮司
「“お伊勢参らば お多賀に参れ お伊勢お多賀の子でござる”という里謡を歌いもってお参りを強化していったと。いわゆるCMソングのように捉えていただければよろしいかなと思います。」
日本全国をCMソングを口ずさみながらお多賀杓子を配って布教活動。すると、多賀大社にもたくさんの参拝客がやってきました。参拝した人たちはお多賀杓子を持ち帰りふるさとでも配り、日本各地にお多賀杓子の名が広がっていったのです。それは、文化の中心、江戸にも届きました。そして食べ物をすくう杓子は「おたがじゃくし」と呼ばれ、まちまちだった名前の天下統一が果たされたと考えられています。
では、「おたがじゃくし」がなぜ「おたまじゃくし」と呼ばれるようになったのか。
専門家
「まあ確かなことはわかってないのですが、結局は「おたま」の方が言いやすかったんじゃないでしょうかね。」
カエルの子のオタマジャクシに似ていたから「おたまじゃくし」と呼ばれるようになったと思っている人もいるのではないか?
専門家
「それは逆ですね。道具の「お魂杓子」に似ているからカエルの子は「オタマジャクシ」と呼ばれるようになったんです。」
専門家
「まとめますと、「お魂杓子」が「お多賀杓子」になり、それが「おたまじゃくし」になったということです。」
ということで、お玉を「おたま」というのは、お多賀がブームになったから でした。
『チコちゃんに叱られる!▽「お玉」の謎』より
ここまでお付き合いいただきありがとうございます m__m