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官兵衛がもし違った選択をしていれば・・・ 再び天下分け目の決戦!?

 

funa-karui.hatenablog.com

家康から薩摩攻め中止命令が届いた10日後、官兵衛は島津の元へ使者を送った。

薩摩への攻撃中止を正式に伝えたのである。

こうして官兵衛の九州での戦いは終わりを告げた。

 

黒田家は関ヶ原の戦いでの黒田長政の功績によって筑前52万石へと大幅に加増。
しかし戦で切り取った土地を与えるという家康の約束が果たされることはなかった。

 

福岡城の三の丸に置かれた御鷹屋敷で晩年を過ごした官兵衛。関ヶ原の戦いから4年後の慶長9年(1604)、59歳にしてその人生を終えた。

 

官兵衛は島津攻め中止という家康の命令に従うことを選んだ。
しかし、黒田家の記録の中に彼の本心が隠されていた。

 

官兵衛の嫡男、黒田長政が残した遺言状。そこには長政が聞いた父 官兵衛の壮大な作戦計画が記されている。

 

官兵衛が大坂方と通じれば加藤清正は喜んで味方になるはずだ
その他の九州大名である島津・鍋島・立花らが大坂方なので九州の大名が結束して京へ向かえば中国地方の軍勢も加わって十万騎になる

これだけの大軍が家康一人と戦うことは卵の中に大きな石を投げ入れるようなものだ

 

壮大な野望を胸に秘めていた黒田官兵衛
彼がもし違った選択をしていれば再び天下分け目の決戦が起こっていたかもしれない。

 

 

つづく

 

 

出演者

【司会】磯田道史 杉浦友紀

【出演】千田嘉博 小谷賢 平山優

【VTR出演】小和田哲男

【語り】松重豊

 

『英雄たちの選択 戦 「九州 もうひとつの関ケ原~軍師・官兵衛 知られざる野望」』より

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございます m__m