はてなブログProへの道

ゆくゆくはProへ昇格したいと思っておりますが、いつになることやら、、、

運動会での組み分けの定番『赤組』と『白組』 なぜその2色なのかご存知ですか?

あなたは運動会で赤組でしたか?白組でしたか?
いや青組だった
いやいや緑組だったな

今回はこのパターンはなしで 笑

 

運動会などで二手に分かれて競う場合、多くは赤組と白組にわかれるのではないでしょうか。
では何故、赤組と白組なのか?
今回はそんな話題です。

 

ここからが本題

なぜ運動会で赤組と白組にわかれるのか?
それは・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

平氏が赤、源氏が白だったから。

 

 

 

 

専門家
「運動会の赤組白組もそうですが、スポーツの紅白戦など二手に分かれて戦うものには赤と白の二色が使われることが多いですよね。これは平安時代末期、武士の平氏と源氏と言う2大勢力が関係しているんです。」
平安時代の終わりごろ力を持っていた武士たちは勢力争いを繰り広げ各地で戦が起きていました。その中心にいたのが西の平氏と東の源氏です。

 

「当時の戦い方にはある暗黙のルールがありました。ではここでクエスチョンです。この暗黙のルールとは一体何でしょうか。」

Q 平安時代末期の戦にあった暗黙のルールとは?
A 名乗り合っての一騎打ち

「1対1で “我こそは〇〇なり いざ勝負!” っていう感じでお互い名乗りあってから戦っていたんです。」
「一騎打ちという言葉自体もここから生まれたと言われています。」
この頃の合戦ではある程度の集団で戦っていても小さな一騎打ちがたくさん行われていました。そうすることで自らの正々堂々とした姿勢を示し、誰た誰の首を首を討ったかわかるようになっていたそうです。
「しかし、合戦が大規模化・全国化していく中で少しずつ合戦のルールを破る人も出てくるんです。例えば奇襲を仕掛けたり、集団で襲い掛かったりと戦い方が個人戦から集団戦へと変わっていくんですね。」

 

繰り返される源平の戦いの中で変わり始めた戦のルール。するとある問題が。
「似たような鎧兜を着た大人数の中では敵も味方もわかりにくいですよね。一騎打ちや名乗り合いでは必要なかった敵味方の判別が必要になって来たんです。」
「そこで平氏は赤の旗を、源氏は白の旗を掲げて敵味方がハッキリとわかるようにして戦ったんです。」
源平の戦いを描いた平治物語を見ると確かに赤旗と白旗に分かれて戦う描写がありました。さらに源平の合戦を描いた絵の多くにも赤い旗を掲げる平氏、白い旗を掲げる源氏の武士が描かれています。
「このようにそれぞれがイメージカラーの旗を掲げることで敵や味方の判別をしたり同士討ちを防ぐことができたんです。」

 

しかしなぜ平氏は赤、源氏は白だったのでしょうか。
「これはいろんな説がありまして、例えば赤は太陽の色を表し、太陽の神様 天照大神を祖先とされる天皇家の流れをアピールしたかったから平家は赤を選んだとか、白は神の清らかさを表し源氏が八幡神を信仰していたから源氏は白を選んだなどと言われたりしています。」

 

源平の戦いから数十年後、源平盛衰記平家物語など数多くの歴史物語が書かれ、江戸時代に流行した歌舞伎でも平氏と源氏を描いた物語は人気演目になるなど大衆文化の中に残り続けてきました。
その後も幕末の時代には新選組副長の土方歳三が剣術の記念試合で紅白戦を行ったという記録が残っています。
明治時代になると運動競技の教則本にも『源平のチームに分かれる』『赤旗と白旗』など赤の平氏と白の源氏というチーム分けが登場します。
「このように平氏の赤、源氏の白という相対するイメージカラーが時代を時代を経ても残り続けて運動会の赤組白組など二手に分かれるときの色として使われたと考えられています。」

ということで運動会で赤組と白組にわかれるのは 平氏が赤 源氏が白だったから でした。

 

チコちゃんに叱られる! 新春拡大版スペシャル!』より

ここまでお付き合いいただきありがとうございます m__m