もみじ狩り、なぜ『狩り』?
秋も深まりもみじ狩りの季節になってきましたね。
もみじ狩り
もみじ・狩り
狩り・・・
狩りぃぃぃ!!!
もみじを狩るんですか!?
・・・・・・
今回は『もみじ狩り』についての話題です。
ここから本題
もみじ狩りはなぜ『狩り』なのかご存知ですか?
それは・・・
『狩り』じゃないとお下品だったから。
専門家
「『もみじ狩り』という言葉が生まれたのは平安時代なんですね。その時、貴族にとってはですね『狩り』という言葉をつけないとお下品と考えられていたようなんです。」
秋が深まると一斉に色づく山や木を見て楽しむもみじ狩りは古くから日本人に好まれてきました。
平安時代の貴族にとってもそれは同じ。現在残っている文献でもみじ狩りという言葉が初めて登場するのは平安末期の歌人 源俊頼が詠んだこちらの和歌。
時雨ゆく かたのの原の もみちかり 頼むかけなく 吹く嵐哉
にわか雨がやみ、山でもみじ狩りをしようとしたが強い風が吹いてきてしまった。そんな情景を表しています。
「平安時代の貴族たちは自分の大きな家があるのですけれども、その庭に季節の植物を植えて家の中から眺めてみる。そしてそれを楽しんでいました。」
「ただですね、山一面に広がるもみじを見るときには外に出かけなければなりませんね。これを『もみじ狩り』と言いました。」
なんで『もみじ見』じゃなくて『狩り』だったんですか?
「平安貴族には独特なルールがあったのでダメだったんです。貴族は平安京の外へ自由に出かけることはなかったんですね。」
政治などに携わり普段は都の中で生活していた貴族が平安京の外へ出るのは基本的に特別な目的がある時だけ。その目的とは、例えば、
・神社やお寺をお参りする物詣で
・お祭りや行列を見に行く物見
・鷹狩などの狩り
の時などです。
「貴族が移動するときは主に牛車や馬に乗るもので自分の足で歩くということは貴族としての振る舞いを守るためにもしてはいけないっていうような考え方だったんですね。」
「まあ極端に言えばそれは下品だと考えられていたんです。」
しかしどうしても山一面のもみじを見たいと願った貴族たち。そこで目を付けたのが『狩り』でした。
「山の中では獲物を探しながら歩くわけですね。表向きは狩りに行くと言っておけば下品だと思われず、貴族としての体面を保ちながら大手を振って一面のもみじを観賞できるということで平安貴族はもみじ観賞に行くことを『もみじ狩り』ということにしたのです。」
「平安貴族が体裁を保つために使っていた『狩り』という言葉が付けられたまま『もみじ狩り』は江戸時代には秋の風物詩として広まっていき現代まで残っているのではないかと思います。」
ということでもみじ狩りが『狩り』なのは 『狩り』じゃないとお下品だったから でした。
『チコちゃんに叱られる! ▽もみじ狩りの謎』より
ここまでお付き合いいただきありがとうございます m__m