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勝海舟vs.福沢諭吉! 福沢の批判に対する勝の返事とは!

明治時代、勝は新政府の要職につきながらたびたび政府批判をしています。
勝と政府の重役の年齢を比べてみると

明治元年の年齢】
勝海舟46歳
西郷隆盛42歳
大久保利通39歳
木戸孝允36歳


西郷隆盛大久保利通たちは勝より少し年下。
彼らの死後政府を引き継いだ伊藤博文や山形有朋は一回り以上離れています。


明治15年の年齢】
勝海舟60歳
伊藤博文42歳
山形有朋45歳


勝は自分より若い世代が日本をどう変えていくのか気になって仕方がなかったのです。

 

おれは御維新(ごいっしん)の時に三十年の間な眼(め)の球を黒くして政府を監視すべしと約束した」(氷川清話より)


政府にとって口うるさい批判の数々はたびたび新聞に載り、勝は威勢のいいご意見番として人気を集めます。いったい勝の口からはどんな辛口の言葉が飛び出したのでしょう。


明治日本の重要課題、それは近代文明の国に生まれ変わること。西洋に肩を並べようと文明開化や富国強兵を掛け声に政府は急速な改革を始めます。そんな時代に発せられた勝の政府批判の中には現代でもなるほどと思えるものが見られます。


行政改革ということはよく気をつけないと弱い者いじめになるよ 全体、改革ということは公平でなくてはいけない 大きいものからはじめて小さいものを後にするがよいよ 言いかえれば改革者が一番に自分を改革するのさ」(氷川清話より)


「帰り道に裏棚(うらだな)社会へ立ち寄って不景気の実情を聞いたが この先四、五日の生活が続こうかと心配している者があちこちにあったよ 今の政治家にはこんなささいな所までに注意する人はあるまい 御前とか閣下とかそんなおべっかばかり聞いておらずに 大臣なども少しは江戸っ子の飾り気のない巻き舌でも聞いてみるが薬だよ」(氷川清話より)


毒舌で敵を作りがちな勝は逆に人から攻撃されることも。


その中に近代文明の先頭を行く文化人福沢諭吉がいます。明治25年、福沢は瘠我慢(やせがまん)之説という書簡で勝を勝を批判します。


敵国の士人と並立(ならびたっ)て得々名利の地位に居る
(もともと幕臣なのに敵である新政府に仕えて出世するのは魂を売る行いではないか

 

それに対して勝の返事は
行蔵(こうぞう)は我に存す 毀誉(きよ)は他人の主張 我に与(あず)からず我に関せずと存候」-福沢諭吉への手紙-
(出処進退は自分で決める。評価は他人が勝手にすればいい。俺の知ったことじゃない。)


相手をはぐらかしながらあくまで我が道を行くと宣言。勝つらしい切り返しです。

 

 

歴史秘話ヒストリア 俺(おれ)がやらなきゃ誰がやる~勝海舟 第2の人生の使い方~」より

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございます m__m