はてなブログProへの道

ゆくゆくはProへ昇格したいと思っておりますが、いつになることやら、、、

判断を二転三転する足利義政そして山名宗全と細川勝元の介入 応仁の乱の足音が聞こえてくるかのようです

 

funa-karui.hatenablog.com

 1465年(寛正6年)9月13日、巨大な流星が京都上空に飛来した。人々はこれを天狗流星とと呼び不吉の前兆と慄いた。

その2年後、京を焼き尽くす戦乱が勃発。11年にわたる「応仁の乱」である。武士による空前の長期戦は時の将軍足利義政の跡継ぎ問題や有力大名家の家督争い。更には貿易権益の奪い合いに幕府内の権力闘争など多くの利害と面子が入り乱れ京を戦乱の都に変えた。

1467年 人の世虚し応仁の乱

時は1465年(寛正6年)応仁の乱突発の2年前に遡る。畠山家の惣領、持国には嫡子がなく家督を弟の持富に譲ることになっていた。ところが持国は家督継承者を突然、庶子の義就に変え時の将軍足利義政もこれを認めた。だがこれに不満を持ったのは持富の息子、弥三郎。弥三郎は義就たちに戦を挑み勝利する。将軍義政はこの結果に態度を変え弥三郎を家督継承者と認めた。これにより持国は隠居。義就も京を去ることになった。

畠山家の争いの背後にいたのは管領細川勝元と有力大名の山名宗全だった。彼らは畠山家の内紛を煽り、弱体化させることで自分たちの権力強化を狙っていた。

それを知った将軍義政は幕政の主導権を取られまいと勝元の家臣を処罰し宗全を隠居させた。更に弥三郎に家督を認めた僅か4か月後義就を再び家督に据える。この措置に弥三郎は没落。弟の政長に後を託して世を去った。ところが将軍義政は家督に据えた義就が意に沿わない行動に出るや今度は政長を畠山家の家督とした。細川勝元は政長に管領を譲って恩を売り政長の後ろ盾として背後から幕府を操る強大な権力を手に入れた。

呉座
「大前提として室町幕府の将軍ってそんなに権力というか力がないんです。特にこの時期は非常に落ち込んでいた時期なんですね。それは何でかというと足利義政が8代将軍ですけれども先代将軍の急死により8歳で将軍になっており、これでは将軍といっても名ばかりなわけなんですよ。結局どうするかっていうと、細川勝元などの有力大名が事実上幕府の政治を動かすという形になるというわけなんですね。」

呉座
「ただ義政もだんだん成人していくわけで、そうなると俺が将軍なんだからやりたいようにやるというふうに考えるようになるわけです。で、将軍と大名たちとの権力争いになっていくわけです。でもそうすると将軍といっても自分の思い通りには事が運ばない。だから結局、勝元とかそういった他の大名たちに妥協する自分の意見を押し通せないということがまま出てくる。その結果、判断が二転三転する、ぶれる、という形になっているわけですね。」

磯田
江戸幕府室町幕府は同じように幕府とついていますけれども、全然違うものです。」

渡邊
「ということで室町幕府がどういう組織で成り立っていたのかここで見ておきましょう。」
f:id:funa-karui:20210311114313j:plain
これは京都のいわば中央政府の組織図です。
大きな権力を持っていたのは将軍補佐役の管領です。管領には細川、畠山、斯波(しば)の足利一族の3つの家の中からひとつだけが就くことになっています。

そして次に重要なのが侍所という京都の警備や訴訟などを担う部署で、その長官を所司(しょし)と呼んでいました。この侍所所司を務めるのは山名、赤松、京極、一色の4つの家に限られていました。

この3つの管領家と4つの侍所所司を出す家を「三管四職(さんかんししき)」と呼び、彼らを中心に諸大名がまとまって連合政権的な性格で室町幕府は運営されていました。

呉座
管領というのは将軍の補佐役、幕府のナンバー2なんで、このポストっていうのは非常に重要なポストなんです。なので細川とか畠山っていうのは自分が管領になるためにポストを巡って争うという状況なんですけど、侍所の長官っていうのはやってもメリットないんですね。仕事ばっかり多くて旨味のないポストなんです。結構管領と侍所の長官っていうのはそういう格差があるんだということをちょっと念頭に置いといていた方がいいと思います。」

磯田
室町幕府っていうのはどっちかっていうとサークル。迎合。あんまりお互いがお互いを完全に支配したり言うことを聞かせたりするのが非常に難しい。」

呉座
「そうですね。大名たちの力を弱めない限り将軍が大名たちの上に立つことはできない。畠山を叩くとか山名を叩くとかそういうことをやって自分が主導権を握る、ということを目指していたわけですね。」

小谷
足利義政が畠山の家督を決めるのに考えが右に行ったり左に行ったりしてるのは、計算してやってるんですか?」

呉座
「それが難しい所で、計算でやっているっていう意見もあるんです。それ結構わかんないんですよ。」

小谷
「ただ生まれつきそういう性格だったという可能性もあるわけですね。」

呉座
「可能性はありますね。」

呉座
「やっぱり間違えたくないみたいな。結局自分が決定を下して、それが最終的に覆るのが嫌だと。否定されるのが嫌だというのもあると思うんですよね。」

呉座
「優勢な側についとけばまず間違いはないみたいな。勝ち馬に乗るという。将軍としてそれでいいのかっていう問題はあるんですけど。」

呉座
「ただのバカではないんですよ、義政は。なんか無能っていうイメージが強いんですけどバカではなくて非常に冷静に情勢を分析する力はある。」

渡邊
「ここで畠山家の家督問題に話を戻しますと、細川勝元山名宗全がここで介入してくるっていうところも、ひとつの混乱の要因になったのではないかと思うんですが。」

呉座
「そうですね。そこは非常に大きいですね。まあ細川勝元にしてみれば畠山を弱体化させることに成功すれば、ずっと自分が管領ってことになるので細川は畠山の家督争いで分裂を煽って、それによって自分が政治の主導権を握ろうと考えていた。山名宗全はもともと管領になれる家ではないので別に畠山がどうなろうと関係ないんですけど、この時期宗全は細川勝元と同盟を結んでいたんですね。」

進行
「ここでは仲が良かったんですね。」

 

義政ぁ~って感じですね 笑。ここまで判断を二転三転させたらそりゃ揉めるわ。

 

 つづく。

funa-karui.hatenablog.com

 

出演者

【司会】
磯田道史
国際日本文化研究センター 准教授
主な著書に「武士の家計簿」「無私の日本人」など

渡邊佐和子
NHKアナウンサー

【出演】
井上章一(建築史家)
著書「京都ぎらい」が話題に

呉座勇一(歴史家)
国際日本文化研究センター 助教
著書「応仁の乱」が40万部に迫るベストセラーに
著書「戦争な日本中世史」など

中野信子脳科学者)
東日本国際大学教授
人間の行動や思想を脳科学の観点から多角的に分析
著書「サイコパス」など

橋本麻里(美術ライター)
永青文庫副館長
美術番組での解説から高校美術教科書の執筆・編集と幅広く活躍
著書「美術でたどる日本の歴史(全3巻)」など

小谷賢(戦史研究家
日本大学教授
情報・戦略から見た戦史研究のエキスパート
著書「日本軍のインテリジェンス」など

 ※2017年7月現在

 

『英雄たちの選択スペシャル▽まさかの応仁の乱!もうどうにも止まらない11年戦争』より

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございます m__m